文民統制のわな

現在、米英の有志連合に参加する形でイラク人道支援を行っている自衛隊が、今後に展開される多国籍軍に参加することがほぼ決まったみたいです。

これについてはUnified Commandのもとに指揮される多国籍軍において、日本の自衛隊の指揮権がどうなるか問題となっています。"Unified Command"は「一つにまとめられた指揮権」と言う意味になります。

この「一つにまとまれらた」をどう取るのか、「統一」なのか「統合」なのか。自衛隊の指揮権は、「統一」ならば多国籍軍に存在する、おそらくアメリカ(とイギリス)が担当すると思われる、唯一の司令部が持ち、「統合」ならば多国籍軍に参加する国々の司令部の寄合が持つことになります。

政府としては「統合」であるとし、自衛隊の指揮権分は日本が持つ、としたいようです。しかし、様々な国々の軍で構成されている多国籍軍とは言え、一つの軍であり、一つの軍は一つの指揮権のもとにあるべきであるので、「統一」と考えるのが自然です。一つの軍にいくつもの指揮権があっては、ただの烏合の衆となってしまいます。

政府は国内で定めてきた憲法や法令よりも、国際情勢にあわせて行動を取りたがっています。情勢は常に変化するものですから、過去の条件で定めた規則を越えて行動すべき時もあります。しかし、この場合でも規則、憲法や法令、をすぐに改正して行かなければいけません。規則は行動の枷である、つまり暴走を防ぐための枷です。枷がない権力はかならず暴走を起こします。

武力と言う権力の枷が不十分であったために、軍部の暴走を引き起こしていた過去を反省して、文民統制と言う枷が生まれました。ここで言う文民は行政になります。日本では行政に対して憲法や法令と言う枷が与えられています。

もし、行政が憲法や法令と言う枷を振り払い暴走を始めたら、軍に対する文民統制は意味がなくなります。現場を知らない分、暴走を始めた行政が振るう武力は恐ろしいことになるかもしれません。